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東京高等裁判所 昭和40年(ネ)1058号 判決 1969年5月29日

主文

1  第一審被告の本件控訴を棄却する。

2  原判決中第一審原告等敗訴の部分を取消す。

3  第一審被告は、さらに第一審原告三谷長蔵に対し金三〇〇、〇〇〇円、同三谷増子、同三谷輝武及び同三谷智代に対し各金一、四八四、四三一円四二銭並びに右各金員に対する昭和三六年一二月一七日から各完済に至るまでそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。

4  第一審原告等のその余の各請求を棄却する。

5  訴訟の総費用はこれを一〇分し、その六を第一審被告の負担とし、その余を第一審原告等の平等負担とする。

6  この判決は第3項に限り仮に執行することができる。

事実

昭和四〇年(ネ)第一、一三八号事件について、第一審原告等代理人は、「1、原判決を次のとおり変更する。2、第一審被告は、第一審原告三谷長蔵に対し金二三〇万円、第一審原告三谷増子に対し金六六六万〇三九七円、第一審原告三谷輝武及び同三谷智代に対し各金六三七万二八六二円並びに右各金員に対するそれぞれ昭和三五年九月二一日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。3、訴訟費用は第一、二審とも第一審被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、これに対し第一審被告代理人は控訴棄却の判決を求めた。

昭和四〇年(ネ)第一、〇五八号事件について、第一審被告代理人は、「1、原判決中第一審被告敗訴の部分を取消す。2、第一審原告等の各請求を棄却する。3、訴訟費用は第一、二審とも第一審原告等の負担とする。」との判決を求め、これに対し第一審、原告等代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上法律上の主張、証拠の提出、援用、認否は、次のように付加するほか原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。(但し、原判決六枚目表六行目末尾に「被害者が」とある前に「自転車に乗つた」を加える。)

(第一審原告等代理人の新たな陳述)

一、第一審原告等は、その請求を拡張して、第一審被告に対し、第一審原告長蔵については金二三〇万円、同増子については金六六六万〇三九七円、同輝武及び同智代については各金六三七万二八六二円並びに右各金員に対する昭和三五年九月二一日から各完済に至るまで年五分の割合による金員の支払を求める。その内容は次のとおりである。

(一)  第一審原告長蔵の慰藉料(従来の請求は金五〇〇、〇〇〇円)

第一審原告長蔵の本件事故のためその子三谷一久を失つたことによる悲歎と生活上の苦しみは年とともに強さを増し、老境に入つた現在一久さえ生きておつたならとの口惜しさは生活の苦しさと表裏となつて常に念頭を去らず、また第一審被告は、被用者たる訴外山口義栄の重大な過失による事故で一久を死に至らしめたのに停車している車に一久が衝突したとか貰い事故で迷惑している等と述べて長蔵を不当に苦しめ、ために長蔵は事故以来今日まで七年有余にわたりはかり知れぬ苦渋をなめ続けてきたのであつて、この精神的苦痛は金二〇〇万円をもつてしても到底償われるものではないが、一応慰藉料として右金額を請求する。

(二)  亡一久の得べかりし利益(従来の請求は賃金分金八、一六〇、六四七円のみである)

(1) 賃金

亡一久の勤務していた日本鋼管株式会社には定期昇給の定めがあり、また第一審原告長蔵が昭和四三年になつて調査したところ、同会社従業員の昭和三六年から昭和四二年までの賃金の上昇はめざましいものがある。

そこで、(イ)亡一久と入社時期、年令、学歴、勤務内容、給料等が極めて類似し、現在健康で勤務している同会社の従業員訴外川辺正義、同今村勝美、同淵上虎夫の三名のうち、中間に位する今村勝美の取得賃金、すなわち昭和三六年金六〇九、〇〇〇円、昭和三七年度金六四一、〇〇〇円、昭和三八年度金六七六、〇〇〇円、昭和三九年度金七三四、〇〇〇円、昭和四〇年度金七五三、〇〇〇円、昭和四一年度金八二八、〇〇〇円、昭和四二年度金九一七、〇〇〇円を標準とし、昭和四三年度以降の分は上昇額が不確実なので昭和四二年度の額のままで計算し、(ロ)また亡一久は安田工業学校を卒業し電気事業法第五四条第一項に定める第三種電気主任技術者免状を無試験で取得できる技術者で、終身働らくことができかつそれに見合う収入を得ることができたのであるから、その就労可能年数は平均余命年数三五・三六年の全部とし、(ハ)さらに同人の必要生活費を昭和三六年及び昭和三七年は二ケ月金七、〇〇〇円、その後は二年ごとに一ケ月金一、〇〇〇円の上昇があり、昭和四三年以降は一ケ月金一〇、〇〇〇円とし、以上(イ)(ロ)(ハ)によつて亡一久の得べかり純収益の現価額をホフマン式期限付債権に対する現価額表を用いて年度ごとに算出し、これを合計すると金一四、九七八、三一八円となる。

(2) 退職金

亡一久は、日本鋼管株式会社の退職金支給規定第三条により、五五才に達し定年退職する時に本給月額の六八・四倍の退職金の支給を受けることができたのであるが、右本給を概算で金三万円として六八・四を乗ずると金二〇五万二〇〇〇円となり、既に支給を受けた退職金二九万九八七三円をこれから差引き、ホフマン式単式により中間利息を控除して計算すると金八九万七〇二四円となる。

(3) 第一審原告増子、同輝武及び同智代は、右(1)及び(2)の合計金一五八七万五二四二円の各相続分三分の一に相当する各金五二九万一七四七円を得べかりし利益の損害賠償として請求する。

(三)  弁護士費用(従来の請求なし)

第一審原告等は、昭和三六年一〇月頃訴訟代理人に本件訴訟の提起を委任した際、成功時に成功額の一割五分に相当する報酬金を支払うことを約した。

そこで、第一審長蔵は前記(一)の金二〇〇万円、同増子は前記(二)の(3)の金五二九万一七四七円に既に請求している慰藉料金五〇万円を加えた金五七九万一七四七円、同輝武及び同智代はいずれも前記(二)の(3)の金五二九万一七四七円に既に請求している慰藉料金二五万円を加えた金五五四万一七四七円のそれぞれ一割五分に相当する金員、すなわち第一審原告長蔵については金三〇万円、同増子については金八六万八六五〇円、同輝武及び同智代については各金八三万一一五〇円を弁護士費用の損害として請求する。

(四)  遅延損害金の起算日(従来の請求は訴状送達の翌日)

本件事故当日である昭和三五年九月二一日から請求する。

二、第一審原告等は、本件事故当時、加害者及び訴状記載の程度の損害の発生は知つたのであるが、第一審原告長蔵は、その精神的苦痛が長期の裁判にともないますます増大し、予期しなかつた貨幣価値の変動もあり、当初請求した金五〇万円の慰藉料をもつてしては到底償うに足りないことを最近になつて知り、また第一審原告増子、同輝武及び同智代は、本訴を提起した昭和三六年一二月四日当時において、亡一久の将来の賃金の若干の上昇は予見したものの、右に拡張請求したどの額になることは予見することができず、最近になつてその逸失利益の損害の拡大を知つたものであり、第一審原告等の拡張した請求は、民法第七二四条に定める三年の時効によつて消滅したものとはいえない。

(第一審被告代理人の新たな陳述)

一、第一審原告らが請求を拡張した部分の損害についての主張事実は知らない。仮りに右損害があつたとしても、不法行為による損害賠償について一部請求をした場合には、時効中断の効力はその一部にしか及ばない(大審院昭和四年三月一九日判決、最高裁判所昭和三四年二月二〇日判決)。第一審原告等の請求の拡張は、三年の消滅時効期間経過後になされたことが明らかであるから、第一審被告は右消滅時効を援用する。

第一審原告等は、右拡張部分の損害が少くとも本訴提起当時予見不能であり最近に至つて知つたというけれども、その最近がいつであるか必らずしも明らかでなく、むしろ、もともと予見可能だつたものが時間の経過とともに現実化したに過ぎないというべきである。

二、第一審原告長蔵は、第一審被告が無過失を主張して争つてきたことを慰藉料増額請求の根拠としているが、同第一審原告は、最初から第一審被告自動車運転手の重大な過失によつて本件事故が起つたとの認識に立つて本件訴訟を提起し追行してきたのであつて、右主張は理由がなく、また第一審原告等と訴訟代理人との間の報酬金支払の契約については不知であるが、仮に右報酬金を損害として賠償の請求ができるとしても、現実にこれを支払つた後に初めて許される性質のものである。

(新たな証拠)〔略〕

理由

一、まず、第一審原告等の自動車損害賠償保障法第三条に基づく請求について判断する。

(第一審被告の損害賠償責任の有無)

(一)  第一審被告が貨物自動車による一般運送業を営む会社であること、第一審被告に雇傭されていた自動車運転手訴外山口義栄が、昭和三五年九月二一日第一審被告会社の営業に供されていた貨物自動車1あ四二五二号を運転し、東京都大田区東六郷三丁目所在東栄石油株式会社の前庭にある給油スタンドにおいて右自動車に給油したこと、同日午後三時頃自転車に乗つた訴外亡三谷一久が右貨物自動車に衝突して負傷し、その後死亡したことは当事者間に争いがなく、また右山口が給油スタンド前の国道を川崎方面に向けて発進するため、一旦右貨物自動車を後退させ、その車体の一部が歩道から車道上に突出した状態となり、車道上を通りかかつた右一久がその突出した貨物自動車の後部に衝突したものであることも、第一審被告の自認するところである。そして〔証拠略〕によれば、右一久は、同日午後一一時四〇分同都同区東六郷二丁目一〇番地所在星子外科医院において死亡したことが認められる。

(二)  第一審被告は、運転手山口が右のように貨物自動車を後退させたあと一時停止しそのままの状態で後退の誘導を終えた助手兼補助運転手訴外関吉之助及び荷扱手地主武志の乗車が終るのを待つている間に一久が衝突したのであつて、本件事故は、停車中の貨物自動車に被害者が衝突したのであるから、自動車の運行によつて生じたとはいえないと主張するのであるが、自動車がその方向を変えて発進するため、エンジンを始動させて一旦後退し、続いて前進を開始する態勢のまま誘導員が乗車を終えるまでの極めて短時間停車しているのは、自動車の運行中に当るというを妨げないと解されるのみならず、本件においては、次に認定するように貨物自動車の後退が完了する前に被害者との衝突があつたものと認められるので、第一審被告の右主張は採用することができない。

(三)  次に第一審被告は、運転手山口は業務上の注意義務を怠らなかつたと主張するので、この点について審究する。

(A)(1) 〔証拠略〕を総合すると、本件事故後亡一久の身体には(イ)左環指に挫創(ロ)左肩鎖骨付近に擦過傷(ハ)右肩後部に擦過傷(ニ)右側頭部やや後の部分に外傷性血腫の各創傷が存し、このうち(ニ)の創傷は平面的な物体による強度の打撃によるものと考えられ、これによつて生じた脳損傷が同人の死因となつたことが認められるとともに、本件貨物自動車に衝突の際同人の左肩付近及び左手が自動車の車体と接触し、次いで同人が路上に右後を下にして転倒した際右側頭部をアスフアルト舗装の路面に激突させ、同時に右肩付近を路面に接触させたことが推認できるのであつて、この認定に反する原審証人望月玉一の供述は信用できず、ほかにこれを左右するに足る証拠はない。

(2) 〔証拠略〕によれば、本件事故発生の直後及び事故当日夜の二回にわたり警察官が実況見分した際、前記山口及び関は、(イ)衝突地点として歩車道の境界から〇・九メートルの地点を、(ロ)一久の転倒していた地点として右衝突地点から貨物自動車の後方二・五メートルの地点を、(ハ)第一審原告輝武(同人が一久の前に腰掛けて自転車に同乗していたことは、同人の原審における本人尋問の結果によつて認められる)が転倒していた地点として右衝突地点から右貨物自動車の後方からみて右側一・七メートルの地点をそれぞれ指示したことが認められ(右証人安藤博の供述は、ことに乙第一号証作成の時期につき記憶が曖昧であるが、当審証人山口義栄、同関吉之助の各供述によつても、同人等が各地点を指示しこれに基いて検尺が行われたことは明らかであつて、乙第一号証はその結果を記載したものと認めるのが相当である)、当審における第一審原告三谷長蔵本人尋問(第一回)の結果及び当審証人山口義栄、同関吉之助の各供述中指示した地点が右と異るという部分はたやすく信用できない。また当審における検証の結果によれば、同検証の際右山口及び関は、(イ)衝突地点として歩車道の境界から一・三メートルの地点を、(ロ)一久が転倒していた時の右足先があつた地点として右衝突地点から貨物自動車の後方一・一五メートルの地点を、左足先のあつた地点として同〇・九メートルの地点を、(ハ)輝武がいた(ただし坐つたような格好で)地点として右衝突地点から貨物自動車の後方からみて右側一・七メートルの地点をそれぞれ指示したことが明らかである。そして右山口及び関が実況見分の際指示した各地点は、当審検証の際同人らが指示した各地点との間に、若干のズレがみとめられるけれども、さして大きな差異があるというわけではなく、衝突直後その場を現認した者が直接現地で指示した地点であることよりすれば、これを、およその状況として肯認するのが相当であり、当審証人川嶋房子、原審及び当審証人高橋孝一の各供述中これと抵触する部分はにわかに採用し難く、ほかにこれを左右するに足る証拠は存しない(なお山口及び関の指示した衝突地点とは、貨物自動車がその位置で停止していた時に衝突したとの主張を前提としているのであつて、貨物自動車の停止前未だ後退中に衝突したとすれば、衝突地点と一久の転倒地点との間の距離はさらに長くなるといわなければならない。)。

(3) 当審における鑑定人平尾収の鑑定の結果によれば、第一審原告輝武が路上に落ちた地点と衝突地点との間の距離を一・七メートルとし(同人は貨物自動車に接触しなかつたものと考えられ、その場合右距離は一久の自転車の速度に関係はあるが、貨物自動車の速度には関係ないとして)、これによつて一久の自転車の衝突直前の走行速度を逆算すると一五キロメートル毎時よりやや低く、また一久の路上に落ちた地点と衝突地点との間の距離を二・五メートルとして逆算すると、貨物自動車は衝突直前二〇キロメートル毎時程度の速度で後退しつつあつたこととなり、右距離が短くなればこれに比例して貨物自動車の後退速度も小さくなり、貨物自動車が停止している時に一久が衝突したとすれば、一久は力学的には衝突地点に、すなわち通常衝突地点のその場といえるような地点に転倒したであろうと考えられる。

(4) 原審証人沓掛純一の供述によれば、一久が、前記星子外科医院に収容された際医師沓掛純一に対し、自転車で走つてきたところ後退してきた貨物自動車に衝突した旨述べたことが認められ、また第一審原告輝武も原審における本人尋問においてこれと同旨の供述をしている。

以上(1)ないし(4)を総合して勘案すると、一久が転倒していた地点は衝突地点のその場ではなく、衝突地点から二メートル前後離れた地点であり、衝突時本件貨物自動車は停止直前ではあつたがなお一五キロメートル毎時前後の速度で後退しており、他方一久は、自転車に乗り、歩車道の境界から一メートル位離れた車道上を一五キロメートル毎時程度の速度で進行してきたが、後退中の右貨物自動車の後部に衝突してはねられ、路上に転倒した際右側頭部を路面で打ち、その結果生じた脳損傷のため死亡するに至つたものと認めるのが相当である。

(5) 〔証拠略〕によれば、右地主、森、望月及び関は、本件貨物自動車の後退の際左右に分れてその誘導に当り、後方から来る人車のないことを確認しており、貨物自動車が後退を終えて停車してから十数秒を経過した時に一久が衝突したというのであり、前記原審証人安藤博、原審及び当審証人高橋金海の各供述によれば、右山口、関等は、本件事故直後すでに警察官に対し、誘導者の誘導によつて後退したこと及び停車中の貨物自動車に一久が衝突したことを申し述べて弁解していることがうかがわれるのであるが、右地主、森、望月、山口及び関の各証言は、前記(A)の(1)ないし(4)の認定に供した資料と対比し、さらに、

(1) 本件事故当時事故現場から約二〇〇メートル蒲田方向にある信号器が停止信号を示していたため、車道上の自動車の通行がとだえていたことは、第一審原告等の民法第七一五条に基く請求の原因に対する答弁として第一審被告において争わないところであり、そのような状況の下での自動車の後退及びその誘導は、後方の安全を完全に確認せずに行われる可能性がないとはいえないこと、

(2) 第一審原告輝武の原審における本人尋問の結果及び原審における検証の結果によれば、一久は本件事故現場から約一五〇メートル離れたところから国道に出て進行してきたことがうかがわれ、本件事故現場まで前記鑑定人平尾収の鑑定の結果のとおり一五キロメートル毎時の速度で走行してきたとしてもその間三十数秒を要することとなり、また国道上の見とおしはよく、輝武も国道に出て早くから本件貨物自動車の存在を認識していたこと

等の諸点をも考慮すると、にわかに信用し難いものがあり、前記四名が本件貨物自動車の後退を誘導したとしても、その誘導は後方の安全の確認について甚だ不完全かつ不十分なものであつたといわざるを得ない。

してみると、このような不完全、不十分な誘導に従つて漫然本件貨物自動車を後退させ、車体の一部を車道上に突出させて一久との衝突を惹起させた運転手山口には、自動車の運行に関し過失がなかつたとは到底いい得ないのである。

(四)  従つて、第一審被告は、本件事故について自動車損害賠償保障法第三条による損害賠償の責任を免れないものといわなければならない。

(第一審原告等の損害額)

(一)  〔証拠略〕によれば、一久は大正一三年二月二三日第一審原告長蔵の長男として出生し、昭和一七年三月安田工業学校(現在安田学園高等学校)第二本科電気科を、また昭和一九年には横浜専門学校(現在神奈川大学)工業経営科をそれぞれ卒業し、第二次大戦によりシベリアに抑留され、復員して後昭和二二年秋頃九州三菱勝田炭鉱工作課に就職し昭和二三年三月からは日本鋼管株式会社川崎製鉄所に雇傭され、本件事故当時は同社池上変電所配変電工として勤務していたが、電気事業法に定める第三種電気主任技術者免状を取得する資格を有し社内でも有用な職員とされ、健康で通常の勤務状態であつたこと、その間同人は、昭和二六年二月九日第一審原告増子と結婚し、昭和三〇年三月一七日長男である第一審原告輝武と、昭和三二年六月一九日長女である第一審原告智代をそれぞれもうけ、第一審原告増子の肩書住所地に一〇坪位の土地を借りて家を建てその建築代金を月賦で支払つていたこと、第一審原告長蔵はかつて電気工事の請負を業としていたが、一久が学校卒業後は後妻をもらつて一久と別居して生活しており、家が代々宗教家であつたので、現在は主として宗教活動をしていること、第一審原告増子は本件事故によつて一久を失つた後、一久の勤務先会社で雇傭の話もあつたが胸の病気があることが分つて採用に至らず、自宅にあつて洋裁及び保険外交で第一審原告輝武及び同智代を育てながら生活していることが認められる。

(二)  〔証拠略〕によれば、

(1) 一久が日本鋼管株式会社川崎製鉄所から支払を受けていた給与は本給、家族給、能率給、超過労働給、深夜給及び賞与を合算したものであり、本給については原則として毎年三月一日に定期昇給が行われ、ほかに労使交渉の結果によるいわゆるベースアップがあり、一久は死亡当時一ケ月平均金三〇、〇〇〇円以上の給与の支払を得ており、また賞与として昭和三四年一二月金五六、五〇〇円(諸種の控除をした残額であるかどうかは明らかでない)、昭和三五年七月金四五、四四九円の支給を受けた。さらに、一久と入社時期及び生年月日が近似しており、かつ同じ電力課に所属している従業員川辺正義、今村勝美及び淵上虎夫三名のうち最も給与の低い川辺正義についてみると、同人が昭和三六年から昭和四二年までの間支払を受けた年間給与額は昭和三六年金五八九、六九五円、昭和三七年金六二一、七三五円、昭和三八年金六五七、七七八円、昭和三九年金七一三、一一〇円、昭和四〇年金七五一、九二八円、昭和四一年金八二七、三三八円、昭和四二年金九一一、七一四円であり、その昭和四二年度の本給は月額金二九、一七〇円であつた。

(2) 右会社では、従業員は五五才をもつて定年退職することとされ、毎年三月末及び九月末の二回に分けて実施しているのであるが、一久は昭和五四年二月満五五才に達し、同年三月定年退職まで引続き勤務すると勤続年数は三一年となり、同会社退職金支給規程によりその退職の際退職時の本給に七一・五を乗じた金額を退職金として支給されるはずである。また同会社においては、定年退職者が希望しかつ会社が認めたときは、さらに二年間再雇傭し、その場合の給与額は平均して退職時給与額の七〇パーセント位である。

なお一久が本件事故により死亡した結果、すでに同会社から退職金として金二八九、〇〇〇円が支払われた。

以上のことが認められる。

(三)  一久は死亡時満三六才であり、厚生省統計調査部発表の第一一回生命表(昭和三五年の国勢調査による人口動態事象をもとにしたもの)によれば、同人と同年令の者の平均余命は三四・六二年とされる。従つて一久は、なお右と同年数生存することが可能であつたというべきである。

ところでその間における同人の稼働によつて得べかりし利益を算定するに当つては、それがあくまでも将来の蓋然性を予測するものであることを考慮し、なるべく控え目に計算すべきであるから、前認定の事実関係による同人の賃金、生活費及び退職金は、以下のように考えるのが相当である。

(1) 賃金(賞与を含む)

(イ) 死亡時から昭和三五年一二月末日までの三ケ月と三分の一ケ月の間、一ケ月につき金三〇、〇〇〇円の給与のほか同年一二月に前年同期と同額の金五六、五〇〇円の賞与を得たものとし、

(ロ) 昭和三六年度から昭和四二年度までは、各年度につき前記川辺正義と同額の支払を得たものとし、

(ハ) 昭和四三年度から昭和五四年三月定年退職までは、各年度につき右川辺正義の昭和四二年度における給与額と同額とし、

(ニ) 昭和五四年四月から昭和五六年三月まで、前記会社に再雇傭された場合と同じ定年退職時の額の七〇パーセントとし、

(ホ) 昭和五六年四月から一久が満六五才に達する直前の昭和六三年末までは、同人が電気関係の技術を有することを考慮してなお引続き稼働し得るものとし、その間収入は前記定年退職時のそれの五〇パーセントとする。

(2) 生活費

第一審原告増子、輝武及び智代(以下第一審原告増子等という)は、一久の一ケ月の必要生活費として昭和三六、三七年は金七、〇〇〇円、昭和三八、三九年度は金八、〇〇〇円、昭和四〇、四一年度は金九、〇〇〇円、昭和四二年度以降は金一〇、〇〇〇円と主張し、これを超えると認むべき証拠もないので、右金額に従うこととする。

(昭和三五年度は昭和三六年度と同額とする。)

(3) 退職金

前記川辺正義の昭和四二年度の本給月額金二九、一七〇円に前記七一・五を乗じた金額をもつて、一久が定年退職時に得べかりし退職金とする。

以上の数額を基礎として、(イ)各年間収入(ただし昭和三六年度以降につき金一、〇〇〇円未満切捨)から各年間生活費を差引いた額をその年度の純利益とし、ホフマン式計算法により年度ごとに年五分の利率による中間利息を控除(ただし昭和三五年度についてはこれを無視し、昭和三六年度以降については三ケ月と三分の一ケ月の分を控除せずに計算するが、基礎の数額が控え目であるから、第一審原告増子等に不当に利益となるものではない)してその現在価額を算出すると別紙一のとおりとなり、その合計額は金一〇九一万四七九五円であり、(ロ)また右退職金からホフマン式計算法により年五分の利率による中間利息を控除して現在価額を算出し、これからすでに支払を受けた前記退職金を差引くと別紙二のとおり金八〇万一五三二円となり、(ハ)以上の一久の得べかりし利益の総計は金一一七一万六三二七円である。

(四)  ところで、本件事故の発生については一久にもつぎのとおり過失があつたことが認められる。

(イ) 前記乙第一号証並びに原審証人望月玉一及び当審証人山口義栄の各供述によれば、本件事故直後本件貨物自動車の右後端から二〇センチメートル位内側の車体後部端付近に約三センチメートル位の擦過痕があつて、この付近が衝突個所であることが推認され、ほかにこれを左右するに足る証拠はなく、

(ロ) 前記のように一久の自転車に同乗していた第一審原告輝武が本件貨物自動車の存在に早くから気づいていたのであるから、一久もまたこれに気づき得たはずであり、

(ハ) 原審及び当審における各検証の結果によれば、一久の進行方向左側には工場、会社に続いて前記給油所があり、このような場所では自動車が車道から歩道を越えて出入することが通常予想され、

(ニ) 前記乙第一号証によれば、本件貨物自動車が一久と衝突するまでに後退した距離は一二・五メートル(後退開始時の車体前部から衝突時の車体後部までの距離二一・三メートルから車長八・八メートルを減ずる)で、仮にこれを全部前記一五キロメートル毎時の速度で後退したとしても三秒以上要するわけで、一久も右と同程度の速度で進行していたのであるから、貨物自動車の後退開始をその二五メートル以上手前で発見し得たはずであり、衝突まで三秒以上の余猶があつたこととなり、

(ホ) 前記のように本件事故当時車道上の自動車の進行はとだえていた等の諸点を勘案すると、一久が本件貨物自動車を発見してその動静に十分注意を払つていれば、自己の自転車の進路を数十センチメートル右に寄せることによつて本件貨物自動車との衝突を避けることができたと考えられ、また一久にそれを期待することができるような状況であつたと認められるのであるから、一久の右の不注意も本件事故の発生に寄与したものというべきである。

従つて、右得べかりし利益の喪失による損害額を認定するに当つてはその過失を四割の程度で斟酌し、損害額を金七〇二万九〇〇〇円とするのが相当である。

(五)  第一審原告増子等三名は、一久の妻及び子であつて、一久の死亡により右損害の賠償請求権を各三分の一づつ相続によつて取得したことが明らかであり、その取得額は各自金二三四万三〇〇〇円となる。

(六)  第一審原告等が本件事故により一久が死亡した結果蒙つた精神的損害は、上来認定の諸般の事情(被害者一久の過失を含む)を勘案し、第一審原告長蔵につき金五〇万円、同増子につき金五〇万円、同輝武及び同智代につき各金二五万円をもつて慰藉さるべきものと認める。

(消滅時効の成否)

(一)  第一審原告等に対し認容すべき右得べかりし利益の喪失による損害賠償請求権の額及び慰藉料請求権の額は、いずれも、本訴提起の日であることが記録上明らかで一久死亡の日から起算しても三年以内である昭和三六年一二月四日、第一審原告等が第一審被告に対し本訴を提起し、これによつて裁判上の請求をした金額の範囲内にとどまるのであるから、その請求権の時効による消滅を論ずる余地がない。

(二)  第一審原告等が、弁護士費用をも本件事故による損害に加え、その各請求を拡張する準備書面を当裁判所に提出した日が昭和四二年九月二一日であることは記録上明らかであり、その主張による弁護士に本訴提起を委任し報酬金の支払を約した時である昭和三六年一〇月頃から起算しても、右請求拡張の時にはすでに三年の時効期間が経過しており、従つて第一審原告等の弁護士費用の損害賠償請求権は時効により消滅したものといわざるを得ない。

(三)  さらに第一審原告等は、右と同一の準備書面により、遅延損害金の起算日につき、当初訴状により請求した訴状送達の日の翌日であること記録上明らかな昭和三六年一二月一七日からを本件事故当日である昭和三五年九月二一日からに改めてその各請求を拡張したのであるが、このような遅延損害金債権は、基本たる損害賠償債権につき債務不履行が継続する限り日々新たに発生し、被害者において損害及び加害者を知つた以上、右損害賠償債権の消滅時効期間と同じく三年の期間を経過するごとに逐次時効が完成するものと解すべきであつて(大審院昭和一一年七月一五日判決、同院昭和一六年一二月九日判決)、右請求の拡張がなされたのは本訴提起の日から起算してもすでに三年以上経過した後であることが明らかであるから、第一審原告等の第一審被告に対する各遅延損害金請求権のうち、右拡張請求にかかる本件事故当日(一久死亡の当日)から本件訴状送達の日までの部分は、すでに時効により消滅したものといわなければならない。

二、してみると、第一審原告の民法第七一五条に基づく主張について判断を加えるまでもなく、第一審原告等の本訴各請求は、第一審被告に対し、第一審原告長蔵につき金五〇万円、同増子につき金二八四万三〇〇〇円、同輝武及び同智代につき各二五九万三〇〇〇円並びに右各金員につき本件訴状送達の日の翌日である昭和三六年一二月一七日から各完済に至るまでそれぞれ民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるけれども、その余の部分は失当である。

よつて、第一審被告の本件控訴は理由がないからこれを棄却し、原判決中第一審原告等敗訴の部分を取消した上、第一審原告等の本訴各請求中、右認定の各金額と原判決認容の各金額との差額の請求につきさらにこれを認容し、その余の各請求を棄却し、訴訟の総費用は、民事訴訟法第九六条、第八九条、第九三条第一項本文に則り、これを一〇分してその六を第一審被告の負担とし、その余を第一審原告等の平等負担とし、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項、第四項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小川善吉 松永信和 小林信次)

別紙一

<省略>

別紙二

29,170×71.5÷{1+(0.05×18+0.05×3/12)}

=2,085,655÷1,9125

≒1,090,538(円)

1,090,538-289,000=801,532(円)

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